室井一辰 医療経済ジャーナリスト

医療経済ジャーナリスト、室井一辰。『絶対に受けたくない無駄な医療』の連載をはじめ、医療経済にまつわる話題をご提供いたします。

(13回)『絶対に受けたくない無駄な医療』(室井一辰著,日経BP,2014)臨床研究の結果で医療の常識が激変

絶対に受けたくない無駄な医療

絶対に受けたくない無駄な医療

【第13回】

臨床研究の結果で医療の常識が激変

 「エビデンス・ベースド・メディシン(Evidence-based medicine)」──。医師ら医療側の中で「根拠に基づく医療」、すなわち「EBM」と呼ばれる考え方は米国ですっかり浸透している。
 臨床研究の結果に基づいて、検査や治療に意味があるかどうかを判断する動きを指して、エビデンス(根拠)・ベースド(基づく)・メディシン(医療)と呼ぶ。米国の医療効率化の背景にあるのもこの動きだ。「医療の価値」が透明化されるようになったのだ。
 この10年近く、根拠に基づく医療の登場で医療現場は激変した。過去に「よかれ」と思われてきた治療の常識が、臨床研究の結果をきっかけに全否定されて、世界中の医師がひっくり返る事例がいくつも出てきたのだ。
 有名な事例には事欠かないが、一つ紹介すると、心臓病の一つである「心房細動」の治療法が覆った2002年の臨床研究の結果がそれだ。
 心拍の波形が乱れて、動悸を感じる病気が心房細動だ。もともと心臓の波形の乱れを整える、いわば心臓のリズムを正常化する「洞調律の維持」を目的とした薬に意味があると信じられてきた。ゆえに、世界中の医師がリズムを正常化する薬をせっせと処方してきた。
 ところが、2002年に発表された臨床研究の結果は全く期待を裏切るものだった。
 4000人近くの患者を対象にリズムを正常化する薬の効果を検証したところ、「死亡を防ぐ効果がある」と追認する結果が出るとの想定は否定されて、逆に「効果は全くない」との結論が出てしまったのだ。その後、日本で行われた同様の研究でもリズムを正常化する薬の効果は否定された。その結果、全世界からリズムを正常化する薬の処方が激減することになった。
 医療の効果があるかどうかを議論するうえで、臨床研究の結果(エビデンスがあるかどうか)を示すのは今や当然だ。エビデンスには信頼性の高さから順序がつけられており、最も程度の低いエビデンスは専門家の個人的な経験と見解である。過去、大学教授など有力医師の個人的な考え方で医療の方向性が左右され、結果として誤った医療で被害を受けた患者が多く出たという反省に立っている。
 これより信頼性が高いのは過去のデータをまとめたデータ、その上位には一定の人数を将来に向けて追跡し、検証していく「コホート研究」などの結果がある。
 さらに、上位のエビデンスとして注目されることが多いのが、一定の人数を無作為に複数の群に分け、条件を変えたうえで追跡し群間を比べる「無作為化比較試験」だ。
 そして、最上位のエビデンスとされるのは、複数の無作為化比較試験を併せて検討した「システマティックレビュー」。多数の試験データを統合して検証する「メタ解析」である。
 世界の医療現場でこのような研究が進んでおり、新たな発見が登場すれば、世界の医療の常識が追認されたり、変わったりしていく。
 こうしたエビデンスは散在していて、医師でも情報を網羅するのが難しい。専門的な学会がエビデンスを整理して、ガイドラインのような形でまとめているものの、全体像を把握するのは容易ではなく、すべてを見通して正しい医療につなげる動きが求められていた。その流れの中で注目すべき動きが生まれ、今、急速に広がろうとしている。

無駄な医療を集めた衝撃のリストとは

 エビデンスに基づいて医療を変えていく──。2012年にのろしを上げたのは、米ABIM財団という組織だった。米国の医師らで構成する非営利組織で、高水準の医療の普及、医療の費用対効果の改善、医療と企業との癒着の解消といった課題の解決を図ろうとしている。
 ここから動き出したのが「Choosing Wisely」と呼ぶキャンペーンである。「賢く選ぶ」という名の下、米国の71の医学会が参加して、不必要な医療を基本的に5つずつ掲げていくものだ。該当する医学会に所属する医師を足し合わせると50万人もの規模になり、60万人強の米国医師の8割をカバーする。
 このキャンペーンが米国で始まったのは象徴的だ。オバマケアの議論が進行し、医療効率化への関心が高まっている中で全米の医師が団結して、必要のない医療を排除しようという動きだからだ。
 一見、医師ら医療側にとっては自らの診療行動を縛るようにも見えて、利益がないように感じるがそうではない。多くの医師は、必要な医療だけを施したいと考えている。限られた医療費の中で、無用な医療にばかりカネが突っ込まれていては、本来必要な医療にカネが回ってこないからだ。無用な医療を排除するのは、医療側の利益にもつながる。
 世界における医療の標準は米国に追随する形になっているため、この動きは米国のみならず世界も注目している。
 例えば、ガンの分野はその一つだろう。米国のがんセンターが非営利で協力したNCCN(米国国立総合がんネットワーク)の検査や治療の指針は、世界のガン医療の模範として参照されている。今回のキャンペーンには、米国のガン医療に強い影響力を持つ米国臨床腫瘍学会(ASCO)が参加している。
 さらに、消化器分野においては、米国消化器病学会(AGA)が世界で主導的な役割を果たしている。彼らが主催するDDW(米国消化器病週間)と呼ばれる学術集会が、消化器系における世界最大規模の学会として、様々な情報をインターネットを含めた世界に発信しているのは広く知られるところだ。このAGAもキャンペーンに参加している。
 精神病の領域を見ても、世界の精神疾患の診療に使われるDSMを作成した米国精神医学会がキャンペーンに加わっている。このほか、米国心臓病学会、米国産科婦人科学会、米国小児科学会、米国整形外科学会などの超一流学会が参加学会に名を連ねる。
 2013年までに既に50学会が、合わせて250前後の医療行為を不必要と認定した。2014年以降、他医学会も不必要な医療行為を指定していく。参加医学会もさらに増える可能性もある。
 その動きに、世界が追随しようとしている。Choosing Wiselyのキャンペーンは、英国とドイツを含めた欧州各国、オーストラリア、イスラエルなどに広がった。今後、日本からも動きが出てくる可能性は否定できない。この動きが本格的に広がれば、日本にも大きな衝撃を与えるだろう。
 それでは、その全容を第二部で詳しく伝えていこう。

(第13回おわり、第14回へつづく)