室井一辰 医療経済ジャーナリスト

医療経済ジャーナリスト、室井一辰。『絶対に受けたくない無駄な医療』の連載をはじめ、医療経済にまつわる話題をご提供いたします。

週刊現代と週刊ポストの、医療論争

話題になっていますが、週刊現代週刊ポストの医療論争が注目されています。

 

wgen.kodansha.ne.jp

 

週刊ポスト

http://www.weeklypost.com/160722jp/index.html

 

 

いろいろ医療をディスりすぎてひどい、といった今風に言えば、医療界を中心として、そうした議論が聞こえてきます。医療現場に悪影響を及ぼすという問題も聞こえてきます。

 

私はこの問題については、大いに、週刊誌で医療の問題について、深く議論され尽くしていくのが良いと考えています。

チュージング・ワイズリーの理念

チュージング・ワイズリーの理念から学ぶと、その辺りはよく分かります。チュージング・ワイズリーは、その趣旨を読むと明確ですが、とにかく分かりやすい結論を世に問うて、そのことを世間が議論することそのものに意味があるとうたっています。

 

本部も認めていますが、「ちょっと言い過ぎかもしれない」といった内容の文言が、趣旨にはありました。ちょっと言い過ぎかもしれないが、そのことで起こる波紋よりも多くの人が関心を持って医療を健全化する方にこそ意味があるというものです。

 

お手盛り医療はまかりならん

以前に、日経ビジネスオンラインで書かせていただきました。米国ではセルフリファラルという問題が取りざたされていました。

 

日本語で言えば、お手盛り医療です。医療を担う専門家を中心として、一部の閉じられた集団が、自分たちだけの基準で良かれと、医療を推し進めているところについて、それは我田引水で問題ではないかと、一般から批判が上がったというものです。自分自身で自分のことを参照している、セルフリファラルという日本人からすると、ちょっとわかりにくい概念ですが、お手盛り医療と言えばわかりやすいでしょう。まさにそうした医療は問題だという論調が上がっています。

 

医療は公的な目線から

医療現場に支障が出ているので、批判は問題だという声が聞かれます。俯瞰的に見ると本当にそうなのでしょうか。

 

週刊現代でよく目立つのは、腹腔鏡手術の問題で、無理に推し進めて、死亡者が出ているような問題が指摘されています。そのほかの部分について、本当に必要なものが無用とされていると非難も聞きます。

 

一方で、私はこういう話も聞いています。40代後半、50代の女性に対して、不妊医療が提供されて、延々とその医療を受ける女性は費用を払い続けている。

これは難しい問題です。

医療の受け手となる女性にとっては、不妊の問題は切実で、なんとかわらをもすがる思いのなのかもしれません。一方で、生物学的には、不妊医療がほとんど成果につながらない、もっと言えば、妊娠の確率は限りなくゼロに近いというのは明確です。

 

ここは医療機関の方から、きちんと医療の意味がないと伝えるべきなのでしょう。一方で、医療を提供する側からすると、社会的にも複雑な問題で対処できないという面もあるのだと思います。

 

不要だとあえて叫ぼう

この不妊の医療は分かりやすすぎる例だと私は思っているのですが、ほかの医療分野でも程度の差こそあれ似たような部分はあると思います。

 

本人が望んでいるところはあるのかもしれませんが、そこが必要なのか不要なのかは、最終的には医療を提供する側だけでは判断はつかない場合はあります。社会で議論をしていかなければならず、お手盛り医療で、医療機関の利益になるからいっか、という風にはすべきではありません。日本では国民皆保険で、多くの場合、公的な資金が医療を支えている観点からも、医療はみんなで議論をすべきと考えます。

 

チュージング・ワイズリーは、そのきっかけとして、あえて大胆な推奨でも、ずばりと言い切ってしまおうと進めています。いいすぎかな、などと忖度するのではなく、まず世に問うて、みんなで議論するところに意味を持たせようとするわけです。

 

ここは、週刊誌の医療論争は、こうした課題への問題意識が高まっているところで、よく作用すると思います。週刊誌の企画が最終的に医療を方向付けるのではなく、読んだ一般の人々、それからその方々と接点を持つ医療の提供者の議論を経て、あるべき医療の在り方が固まってくるものと思います。

 

ガイドラインのその先

医療の潮流を見ますと、経験的な医療が行われた古代から、臨床研究の結果を参考とされるようになる時代を経て、そうしたエビデンスをまとめてガイドラインを設けて標準的な医療を提供する時代となりました。

 

その先にあるのが、議論の中から生まれる医療なのだろうと考えます。専門家の手を離れて、社会が方向付ける医療です。前述のとおり、米国ではお手盛り医療を脱却しようという動きが出ています。

 

チュージング・ワイズリーというのは、まさにガイドラインのその先を指し示す動きと考えています。

 

 

日本でも医療論争の熱は高まり、多くの人にとってより身近な話題になってきていると感じます。さらなる議論の深化と、医療提供者側の意識の変革が求められる時期になっているということなのだろうと思います。